1981年生まれの犯罪者予備軍無職の裏も表もない日記

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いい歳して私は何をやっているんだろう

この前、ブロガーのいっしーさんにツイッター上で絡んでしまった。自分でも嫌になるくらい、つまらない正義感を振り回しては優越感に浸ってしまった。それが間違っていることは理解しているつもりだけど、その時はさも自分が人生の先輩であるような振る舞いをしてしまったのだ。

 

年下に嫉妬する自分

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今日も前回書いた仕事の合否の電話が鳴ることをひたすら待っていた。いや、待ち望んでいたと言った方が正しいか。しかし現実は、待てど暮らせど残酷な天使のテーゼで電話はかかって来なかった。その腹いせにいっしーさんにツイキャス上で絡んでしまった。いっしーさんはニートな20代の若者だ。私とは10歳違い。私は彼に「いつまで実家にいるの?」とか、「年取るのは、あっという間ですよ」とか、「35越えると仕事はないよ」と言っては不安にさせてしまった。

 

なぜそんなことを言ってしまったのかと言えば、それもこれも私が彼のことを妬んでいるからだ。嫉妬しているのだ。憎いほど羨ましいのだ。実家暮らしでのうのうと生きている彼が心底羨ましいのだ。でも彼には彼なりに苦労があるのだろう。それは何となく理解しているつもり。ただ理解はしているつもりでも、やっぱり羨ましい。

人生は矛盾に満ちている

10年前、私は27歳だった。時は2008年、秋葉原通り魔事件が起きた年になる。私にとってあの事件は衝撃だった。ショックを受けた。

 

しかしそれよりも衝撃だったのは沢本あすかだろう。秋葉原の路上でケツを出す沢本あすかは過激である以上に過激だった。私は彼女にある種の羨望を抱いた。そして失礼ながら彼女でしこってしまった。なぜしこってしまったのか?考えても答えは出なかった。

 

出した後、私はしばらく後悔の念に苛まれた。別にタイプでもなければ、会ったこともない。それに彼女は特別キレイでもなければ、かわいくもない。ただ私が思うにエロいのだ。それを人は魅力というのだろう。公衆の面前でストリップできる度胸には感服した。私も同じことをやってみようと考えたこともあった。スカートを穿き、Tバックを穿き、開脚する。簡単なことだ。でも途中でバカバカしくなってしまい、止めた。私と彼女とでは決定的に違うのだと思った。違いは性差だ。男がTバックを穿くと、どうしても横からはみ出してしまうのだ。だから、私は沢本あすかになることを止めた。それ以来、もう彼女を思い出すこともない。人生は矛盾に満ちているのだ。

いい歳して私は何をやっているんだろう

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いい年して私はいろいろなことに挑戦している。それもこれもチャレンジ精神が自分を変えると信じているからだ。けれども、それは宝くじが当たると信じて買っている感覚に近い。いつか、いつか、いつかと、日の目を見る日が来ると信じて疑わないのだ。しかし私も来年38歳になる。もうそろそろ人生に決着のつく年齢に差し掛かっている。もう後がない。にも拘らず、習慣となっているネットでズリネタ探しをする毎日。ついでに、ついつい帰省本能なのか、沢本あすかの尻を見ながら、数年ぶりにまたしこってしまった。何と情けない。私は数年前、いや10代の頃からやってることがまったく変化していないことに驚きと共に唖然としてしまった(私が10代のころはエロ本だったけど)。

 

でも言い訳がましいが、私はイケなかった。事実、私は沢本あすかでは一度もイッタことはない。不思議とエロスは感じても、それ単体ではイケないのだ。ではなぜ沢本あすかにそこまで拘るのか?それはたぶん私が彼女に嫉妬しているからなのだ。あれだけの聴衆を集め、注目される人物への憧憬なのだ。私は今だに過去を引きずりながら生きているのかもしれない。いい年して自分は何をやっているのだろう。10年前に戻れるなら今すぐ戻りたい。