1981年生まれの犯罪者予備軍無職の裏も表もない日記

日々の出来事を書いてます。コメントもらえたら励みになります。

生きる権利も死ぬ権利もどちらも必要ない、何となく生きているでいい。けど早く楽になりたい

介護には限界がある。延命措置は要らない。増殖する高齢者たちでほぼ詰みの状態の日本。それに加えて深刻な労働者不足。この労働者を移民で賄おうとしている国家。文化も習慣も違う外国人に日本人の介護ができますか?そんな痛烈な意見がネットに蔓延っている。どうしたものか。私は早く楽になりたいだけなのに。

 

 

このままだと日本は高齢者と共に共倒れなってしまう

高齢者が増える一方で、現場レベルの働き手が不足している。日本は未だかつて誰も見たことのない、未知の領域に踏み込んでしまっている。政府は高齢者を取るか、若者を取るかで葛藤している。満足な少子化対策も資本が無い為になされていない。はっきり言うけど、このまま行ったら日本は滅ぶ。それは高卒の私にでもわかる。滅ぶってことは日本人がいなくなるってこと。別に地球全体の人口は増加しているんだから日本人が滅んでも、別にいいんじゃないという意見もある。確かに、この地球上から日本人が絶滅したからといって、特に問題が発生することはないと思う。でもだ。でもそれでいいのかって思うんだ。このまま指くわえて、その様を見ているだけでいいのかって思うんだ。ああ、できることなら赤ちゃんからやり直したい。

 

このままだと高齢者もろとも共倒れになるよ。間違って欲しくないけど、私は高齢者に早く死ねと言っているわけじゃない。長生きにも限度があるってこと。そりゃ、健康でお金もあって、友人も多く、趣味も多彩なら長生きは楽しいだろう。だけど、大量の税金を使って、認知症とか入退院の繰り返しの高齢者を生き長らえさせることは、誰も幸福にならないではないか。高齢者もきっと早くお迎えがくることを望んでいるんじゃないか。そんなことを考えてしまうこと、そのこと自体が実に悲しいのだ。逆になぜ長生きすることが楽しみな社会にならないのか。なぜ人の為と書いて偽りと読むのか。もう訳が分からなくなってしまう。

 

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高齢者はみんな過去に生きている

こんなことを書きながら、私は老人ホームで働いた経験もないし、介護の経験もない。きっと「そんなあんたに何がわかるのか!」って思うと思う。でも老人ホームではないにしろ、私も高齢者の人たちと仕事をしたことがある。50歳から60歳くらいの人生の先輩方だった。私は、その会社で事務をしていて思った、どうしても職場に高齢者が多いと話が暗くなりがちだなってことを。それと大勢の高齢者たちと話して思ったのは、高齢者はみんな思い出話が好きだってこと。そんな過去の話をされても私は「そうだったんですね」とか、「すごい経験されてきたんですね」とか、「そんな時代もあったんですか」くらいしか答えようがない。ですね、ですか、の連発。

 

過去話は、ほとんどの場合、話し手の自己満足で終わる。私は他人の話を聴くことは好きな方だと思っている。でもさすがにため息ばかりとか、耳が遠くなったとか、もの覚えが悪くなったとか、パチンコの話とか、そういう話を延々聞いていると、こちらの方もだんだんつらくなってくる。そりゃ楽しい話題なら積極的に聞きたいけど、始めから終わりまで、結局最後には若いときは良かったなんて思い出話を聴かされてもね。「ああ、そうですか…。」くらいしか言えないよ。

 

ただ、一点、もしかしたらそこに何かしらの生きるヒントが隠されているんじゃないかって思いで、話を聴くようにした。「…ああ、そうですか」じゃなくて、「あっ、そーーーう!で す かっ!」というオーバーリアクションも、たまには取り入れながら聴くようにすると、相手は湯水の如く話してくれた。人に歴史あり。先人たちの経験談には含蓄(うんちくではなく、がんちくです)がある。

死ぬ権利を認めることによって、人間はそれほど死にたいと思わなくなるのではないか

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安楽死や尊厳死。生きる権利はあるのに死ぬ権利はなぜないのか。それは死ぬ権利を求める団体がいない、もしくはそういう団体自体が成立し得ないからではないかと聞く。だって、命は大切に、大事にって考えが、人間には本能的に備わっている。これを覆すのは容易ではない。年間2万人以上の人が自殺している現状でさえ、人はというか宗教が自殺を認めていない。でもさすがに少子高齢化で日本人が消滅するって言っているのに、古い考え方を捨てられないのは保守すぎるのではないか。その時代時代に合った制度に変えた方が良いのではないか。死ぬも生きるも、その選択権を自分をおいて誰が持つというのだ。おお、ジーザス。

 

と、ここまで言っておいて申し訳ないけど、私は死ぬ権利を認めることによって、人間はそれほど死にたいと思わなくなるのではないかと閃いた。別にふざけるつもりはないけど、人の心理ってやっちゃダメって言われると、やりたくなる生き物だから。禁止されればされるほどやりたい欲求が増幅する。しかしこれは一つの仮説に過ぎない。「仮説だなんて、人の命を軽る軽しく考えるな!」って言われたら、、、返す言葉もない。

生きる権利も死ぬ権利もどちらも必要ない、何となく生きているでいい

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私は本当は生きる権利も死ぬ権利もどちらも必要ないと思っている。だって、生きるとか死ぬとか、誰かに決められるものじゃないし、例えば勉強するとか遊ぶとかも、自分で決めればいいはず。そんなこと真剣に語っちゃってあんたばか?って言われたら「ああ、バカだとも大バカ者だとも」と私は答える。バカを笑う者はいつかバカに泣くのだ。

 

本当は誰もが友達や職場や家族に自分のことを一番に気遣って欲しいと願っている。そして死について悩んだときには、そっと寄り添い自分の味方で居て欲しいと願っている。言わば、自殺する人の大半は誰からも見捨てられた(と思い込んでいる)人たちだ。孤独な高齢者たちも、誰かに話を聴いて欲しいようで、一度話し出すと止まらなくなる人が多い。話に熱中しているとき、人は悩んだりしない。だから、それがたとえごく小さなことでも無理やり熱中すればいい。ただ死にたい人は死ぬことに熱中しているのだから。死ぬことじゃなくて生きることに熱中するのはどうだろうか。そうじゃなければ、何となく生きていればいい。私はなぜこんなことを書いているのだろうか。ああ、早く楽になりたいだけなのに。

ブロガーたちからの励ましの言葉

・ガンダムーンさんからのメッセージ。

カレーを食い続けるしかないです。私もドリンクを飲み続けます!

 

・鈴木やすむさんからのメッセージ。

ハマダさんやマスヲさんが、面白いだけのブログで月収15万をクリアしてくれることが私の願いです。結局、何やったって食えるような人しかブログで食えてないっぽいじゃないですか。。

 

・drakeさんからのメッセージ。

全くその通りだと思いますよ。おっしゃる通り。

 

・みきっぺさんからのメッセージ。

私もお金さえあればってずーーーっと思いながら生きてきたなぁ。でもそう思ってる人はお金に責任転嫁してるだけかもしれない。

 

・腐ったみかんさんからのメッセージ。

めちゃくちゃ熱い記事だった。情熱はお金じゃ買えない。生きることは自分を信じること。死にたいは生きたい。(´;Д;`)感動した。がんばろう。

 

・マスヲさんからのメッセージ。

ありがとうございます。ノーマネーでフィニッシュしそうですが気にせず4545してフィニッシュして寝ます。

 

前回の記事にコメント頂きありがとうございました。はてブじゃなくて、コメント欄でもいいので、また暇なときメッセージください。またいつでも。さ・よ・う・な・ら。、、、バタッ。ピーポーピーポー♪ぽくぽくチーン。こ。(^.^)>。今年の冬はいつも以上に寒くなりそうですね。