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女のションベンには価値があるのに、おっさんのションベンには価値がない

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男女平等と言われている。私は今日もバイトをしてきた。バイト先では女子も男子も共同便所にてションベンや糞を垂れる。排泄音は店内の爆音でかき消される。アップテンポな洋楽やユーロビートに合わせて、クソを垂れる。ナイトオブブブブファイヤー!

女のションベンには価値があるのに、おっさんのションベンには価値がない

今日もクソバイトに精を出す。「いらっしゃいませー」「ありがとうございました!」ではない、「しゃっせー」に「あしたー」だ。バイト生活を長く続けていると「いらっしゃいませ」一つでも言うのが面倒くさくなる。なにせ日に何十回と同じセリフを述べるのだ。もう言うのも聞くのも嫌になる。もっとも熟練者になると「せー」と「したー」だけになる。実はこれだけでも十分通じる。いらっしゃいませ!ではなく「せー」。ありがとうございました!ではなく「したー」。

 

そんな楽しいバイト生活を送っている私が、ふとあることに気づいた。それは先にも言ったションベンだ。私のバイト先には大勢の女がいる。その女のションベンには価値があるか?と考えた。ヤフオクやメルカリ辺りで売れば、値段が付きそうな気がする。翻って、私のションベンには価値があるか?を考えた。答えは考えるまでもない。成分も味も色合いも、全く遜色ないはずの液体が、放出した性別が男か女かによって、価値が段ちで違ってくる。年頃の女子大生のするションベンを巷では聖水などと崇めたりする。その聖水に狂っているバカ共が有難がって群がる。お前らはアリか?変態共め!死んでしまえばいい。と言っている私もできればその聖水で今すぐにでも溺死したい。ションベンのプールで溺れたい。というような個人的な願望はさておき、なぜ男女平等と言いながら、同じションベンに、こうも違いができてしまうのか?ここでわかることは、真の男女平等など存在しないってことだ。嘘だってことだ。女は生きているだけで価値があるけど、男は生きているだけでは価値がない。私も食っちゃ寝の糞尿を垂れるだけの人生にはもう疲れた。食べて出して漏らしての繰り返し。パンツが真っ黄色。後ろは真っ茶っちゃ。もう死んだ方がいいかも。でも死ぬ前に男と女のションベンはどっちが汚いのか対決の結果を見てからにしたい。たぶん私の予想だけど、美女でもおっさんでも成分は同じだ。まったく同じなのに付加価値が雲泥の差。石原さとみのションベンには一体いくらの値段が付くのか?想像もつかない。ただこの逆はない。女は好きな男のションベンを欲しない。欲するのは変態男だけ。

 

実は私は過去に女にションベンをかけられたことがある。浴室で。「かけて欲しいんでしょ?ほーら」と言って突然ションベンを浴びせてきた商売女。あれ以来、私は女のションベンが嫌いになった。ユニットバスの床にシミになって残った。異臭がした。いろんなところに散っていて、あとで掃除するのが大変だった。シャーーという長い放尿音がときどき耳の奥で聴こえてくる幻聴に悩まされている。あの商売女のションベンの、色が、臭いが、シミが、私を苦しめるのだ。死ぬ前にこの嫌な記憶を上書きしたい。でないと私は死んでも死にきれないのだ。