需要がない

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35歳を過ぎて痛感しているのは、自分には価値がないということだ。価値と言っても危険、きつい、汚い仕事なら身体が動くということだけで価値はある。夜勤とかね。誰もやりたがらない仕事ではまだまだ価値はあるにはある。でも一般的な仕事ではもう需要はないのだ。求人では全てにおいて若い人に負ける。

需要がない

それはブログ界でも同じこと。「何を書くかではなく、誰が書くか」の世界において、文章の内容そのものの評価ではなく、誰が書いているのかで人気が決定するのだ。リアルな世界でも会社は年配者よりも若い人を雇用する。中途半端な経験では若さに太刀打ちなどできない。だけど現実を直視して、いつまでも嘆いていてもしょうがない。需要がないならないなりに、何か手立てはないだろうかと考える。答えは「ナイ」。いくら考えても「ナイ」しか出ない。年増のキャバ嬢の気持ちがよくわかる。時給は下がり、席に着けば、ババア呼ばわり。若い同僚の視線が気になり、最後は退店を迫られる。需要があったときと比べると天と地の差だ。だけど、女性ならまだ40代でもサービス業の需要はある。問題は50代。私は36歳なのでまだ時間がある。ブログを書いても芳しくない。動画をアップしても芳しくない。どうすればいいのか?私は何をすればいいのか。逆に何もしない方がいいのかもしれない。仕事もせずに生活保護で、ただぼんやりと空を眺める生活をしていればいいのかもしれない。生きているようで死んでいるような生活だ。だって、それもこれもいろいやってみて、結果的に需要がないんだからしょうがないでしょ。無理して働いたって将来は知れてるし。ガンバって働いてブログ書いて自暴自棄になる前に、ゆったりと過ごしてもいいかもね。人間、欲望があるから働いてお金を稼ぐわけだし。私のその欲望がどんどん減っていっている。心境は100歳のおじいちゃんのような感じだ。需要がないならゆっくり縁側でお茶でも飲んでいればいいってこと。需要がないのに、しゃしゃり出てくるから、ややこしくなる。いずれ生きていれば出番が回ってくることもあるだろうし。お金が稼げないなら無理して稼がなければいい。稼げる人が勝手に稼ぐだろうから。何事も無理は良くない。来世は美人かイケメンに生まれたらいいと思う。ブサイクはもう勘弁。もしかしてだけど、今、現在、美人やイケメンの人は、来世では無能なブサイクで生まれるようなシステムもあるんじゃないかな?そんな怖い想像もしている。世にも奇妙な物語にありそうな筋だ。

 

 

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