遊びまくる!

30代無職のカオスな日記

人の役に立つ記事を書く、それだけでいいのか。

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今日は今からM井さんと高田馬場の焼き鳥屋でサシ飲みだ。何時に帰ってくるかわからないからその前にブログを書いておかなければならない。誰にも読まれなくとも、オリンピック開催までは更新し続けると自分に誓ったことを己の生きる使命としているからだ。

人に役立つ記事を書くこと

インターネットは、わからないことや調べ物をするときに使うことが圧倒的に多い。ブロガーはその需要を察知して、人の役に立つ記事を書く。試しに「人の役に立つ記事を書く」で検索すると馬鹿みたいにヒットする。偉い。自分のことだけでなく、人様のお役に立ちたいと思う人がこんなにも存在していることが偉い。でもそれだけか。人の役に立つ記事しか書かなくていいのか。と、ぼくは思う。

本当に役立つ記事とは

人生はきれいごとじゃない。陽と陰。光と影がバランスよく合わさることで人間は生きられるのではないか。暗闇があるから明かりを灯すのだ。悪がいるから正義がある。どんな記事が人の役に立つのか、ぼくは1年間のブログ人生でわかったのだ。それは読んで死なないと思える記事だ。人は絶望の淵に立たされたとき、そのまま自殺してしまう人もいるけど、ネットサーフィンしていたり、たまたま歩いているときに出くわした言葉に看板に広告に人に、自害を踏みとどまることがある。そのときに初めて、己の悩みの小ささや愚かさに気づき、もう少し生きてみよう、死ぬのはいつでもできるからと。思えることがある。

楽しくても辛くても書く

ブログは楽しみながら書こう。これにはぼくも大賛成なのだが、説明不足なところもある。例えばブログを登山だとすると、登山にはそれなりの準備があって、険しい山道を登り、山頂に至るまで、楽しみばかりじゃないはずだ。楽しみがわかるまでには辛いこともあるということだ。ブログでも何でも、始めから終わりまで楽しいことだらけでヤッホーではない。将棋なら負けて悔しいこともあるし、詰め将棋を何時間も考えて苦しくなるときもある。苦しさがあるからこその楽しみではないか。ぼくは毎日ブログを書いていて、そう思った。今日は書きたくない。ネタがない。眠たい。わざわざブログを書かなくても良い日だと思えることの方が圧倒的に多いはずだろう。でも振り返ってみると苦肉の策で書いた文章が、実を言うと魂の籠った文章になっているのだ。 最後にひとこと言わせて欲しい。ぼくは登山をしたことがない。以上である。