遊びまくる!

30代無職のカオスな日記

明日からあなたはこの車椅子で生活してもらいます

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横柄で態度がでかい、車椅子に乗った障害者?の人がいた。

人は生まれたときから横柄だったわけではない。人はいつから横柄になるのか?車椅子が原因なのか?それともそれ以前からなのか?

車椅子の男

車椅子に乗った男が踏切で駅員さんと何やら揉めている。どうやら踏切の遮断機がすぐに閉まってしまうため、車椅子では少々渡りづらいのだという。駅員さんは平謝りで遮断機が上がったあと、線路を渡りきるまでお世話をしていたが、それでも腹の虫が収まらないのか、まだ何やらぶつぶつと文句を言っていた。

 

他には電車に乗り込むときに、駅員さんに介助されながら乗り込んできた車椅子の男が放った言葉がある。「わざわざ乗せてもらって、ありがとうございました」なら、わかるが、「もっとあっちまで押せ」といったセリフでもって、駅員さんに横柄な態度で、さも介助されることが当然のことであるかの如く、指図していたことである。

 

傍から見ていて、なぜそんなに偉そうなのかとあきれ返った。健常者はあなたの奴隷ではないし、家来でもない。短気な人だったらキレてもおかしくない状態であった。

車椅子の気持ち

文句を言いたくもなるが、それだけではただの愚痴になる。芸がない。

では、ぼくが車椅子の男だったらどういう気持ちになるのか、じっくりと腰を据えて考えてみた。「明日からあなたは、この車椅子で生活してもらいます」と言われたら、ぼくは果たして人にやさしくなれるだろうかと。駅員さんに「ありがとう」と素直に言えるだろうかと。

 

毎日、車いすに乗って家の周りを徘徊するぼくのすぐ隣を、子どもたちや家族連れやカップルが楽しそうに行き過ぎる。走りたいのに走れない。歩きたいのに歩けない。それはとてもやるせない、もどかしい毎日だろう。悔しくて、悔しくて、涙を流すこともあるだろう。自身の不幸を恨み、他人を妬むだろう。

 

だが、いずれ、不満や妬みは身を隠し、収まり、平穏な日々を送ることになるだろう。しかし、良心にくすぶり続ける火種は消えることなく、やがて私の精神までも燃やし尽くさんとするだろう。轟音と共にうねりを上げる、業火によって。

罪と罰

人は自分よりも弱いものをいじめる生き物である。

自分より強いものをいじめる人はなし。なぜならそれはいじめではないからである。いじめとは自分よりも弱い立場のものをいたぶり、なじる。地獄の所業なのであって、アルバイトが社長をいじめるといった構図は成り立つはずもなく、いつでも立場が上の人間が下の人間に行う行為であるからなのである。

 

人間とは罪深い。実に罪深い生き物だ。

物事の順序でいけば、罪があって罰があるが、反対に罰が先にあって、その後に罪がある場合もあるのではないのか。罪とは何か。罰とは何か。車椅子の男がひとり呟いたような気がした。

 

気のせいか、そんな気がした。