遊びまくる!

アラサー無職のカオスな日記

刺身のつまの一生

f:id:hamaren:20170109203708j:plain

ぼくは刺身のつまのような人生は歩みたくない。ぼくは、ぼくは、、。必要のない人間なんかじゃない。

刺身のつまの意味

刺身のつまには消臭効果や抗菌作用、見た目の美しさがある。しかし、そのほとんどが食べられずに廃棄される運命にある。刺身を引き立たせるために自らの役割を果たす。それがつまである。同じような存在でパセリがあるが、似ているようで非なりでパセリは使い回しができるけれど、大根のつまは使い回しができない。

 

 

東京には使い回しの利く人間が多い。

 

部長「君の変わりはいくらでもいるんだからね」

平社員「そ、そんなー」「真面目に今までコツコツやってきたんですよ!」

部長「嫌ならいつ辞めてもらっていいんだからね」

平社員「・・・」

 

こんなドラマのような会話が今日もどこかで繰り広げられている。ここは東京砂漠。

刺身のつまの必要性

ぼくは高知県出身なので、つまがない刺身を見ることや食べることに違和感を感じないが、関東近郊の人は刺身につまがあるのが当たり前だと思っているから、もし一斉につまがストライキを起こしたら、パニックに陥るだろう。

 

昨日まで刺身の下に雪のように敷き詰められた、柔らかい羽毛布団のような大根の千切りが、つまが、音もなく消失しているからだ。行きつけのスーパーマーケットの刺身の盛り合わせは立体感を失い。まるでタワーマンションから平屋建ての木造家に引っ越したかの喪失感を感じるだろう。

 

即日、「刺身のつまを取り戻そう!」なる団体が主婦たちの手によって結成されるかもしれない。銀座や赤坂にある老舗の高級寿司屋でも同じことが起こるかもしれない。みな一様にひたいに血管をうかべながら。

 

ぼくはこの光景を見ながら思うだろう。やっぱりツマは必要だったんだと。

つまの一生

寿司屋で刺身のツマまで食べようとすると怒る人がいる。「そんなもの食べるんじゃない!」と。それはその人にとって、つま(大根の千切り)とは、食べるものじゃない、ただの飾りであり、それを食べる行為は品がない、はしたない、マナー違反だと思っているからだろう。

 

確かにつまを食べる様子は傍から見ても、きれいではないし、ロマンチックでもない。刺身のつまを食べながら女性を口説くシーンは、これからも月9では観ることはないだろう。

フォーマルな場であればあるほど、つまを食べる行為は禁じられたタブーと化す。もし接待の場で、つままで全部食べる奴がいたら、その商談は破談になる可能性が高い。なぜなら接待相手や取引先の人間に常識を疑われるからだ。

 

つまり、つまとは、つまの一生とは、刺身を引き立たせる役割を全うすることであり、それ以上でもそれ以下でもないということである。そしてぼくは残ったつまを(上の写真)ムシャムシャとやる。わさびを利かせた醤油をかけて。