遊びまくる!

アラサー無職のカオスな日記

電柱はただのコンクリートの棒ではない

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うちのアパートの出入口には電柱が立っている。

引っ越してきた当初は気にならなかったが、こうして暮らしてみると毎日のことなので、朝夕、休みの日はそれ以外にもアパートに出入りするたびに「あっ電柱」ってなる。

電柱は空気のようなもの

どんなに寝ぼけてても、どんなに泥酔していても、ぶつかることはないが、道幅が狭いため、前から車が来たりすると、一旦立ち止まらなくてはならなくなる。今まで意識すらしたこともなかった、完全に景色に溶け込んだ存在、それが電柱。空気のようなもの。

 

普段、電柱として話題になることもなければ、あそこの電柱、電線がきれいにまとまってるから見に行ってみよう。なんて馬鹿げたこともない。外国の観光客ですら電柱と記念撮影することはしない。物珍しさで写真に撮りはするが、電柱と肩を組み、ピースはないだろう。

電柱はただのコンクリートの棒ではない

電柱は人々の生活の邪魔でしかないが、電柱が地下に潜ることなく、アスファルトの地面から、天にそり立つコンクリートの棒であることによって、助かる命もある。交通事故の件数が東京は多い。(大阪や愛知とほぼ同じ)人口が集まる場所に比例して多くなっている。

 

暴走する車は、ビルにぶつかって止まるか、民家の壁か、ガードレールか、車か、電柱にぶつかって止まる。もし電柱がなければ犠牲者が出てしまった事故があってもおかしくはない。電柱によって奇跡的に命を落とさずに済んだということだ。

 

さすれば、その人にとって、電柱はただのコンクリートの棒にあらず、命を救ってくれた棒となる。ぼくにとってはアパートの出入口に陣取る、邪魔なただの棒であるが、見方によってはその棒が、ぼくの命を守ってくれないともいえないだろう。

ありがとう電柱

道に出た瞬間、車がキィィーー。ガシャン!

アパート前の出入りを邪魔していた。あの電柱がトラックのバンパーやヘッドライトに食い込んでいる。もしこの電柱がなかったら、ぼくは今ごろこの暴走トラックにペシャンコにされていたのだ。

 

「ありがとう、電柱」

もちろん電柱は「うん」とも「おう」とも言わない。

黙って人々を守る。それが電柱だ。普段は空気のような存在であるが、空気には暴走トラックは止められない。

 

このブログを読んで、今日から電柱の見方が変わってくれるとうれしい。ぼくも明日から電柱に「おはよう」「行ってきます」「ただいま」なんて、あいさつを心のなかで言ってみたりしているかもしれない。

 

 

最後の文末を考えながら、近所のコンビニに夕飯のおでんを買いに行った。その帰り、ぼくはアパート前の電柱に犬がおしっこをした跡を発見した。飼い主はペットボトルに入った水をチャーとかけて散らして去っていった、ぐらいの濡れ具合だった。もしかして人?

 

ぼくは熱々のおでんを片手に、その電柱にかかった水しぶきを見て思い出した。酔っぱらったときにトイレがなかったので電柱にお小水をしたときのことを。

 

「電柱さん申し訳ございません」

過去のご無礼をどうかお許しくださいませ。

 

電柱はお地蔵さんのように無言であった。ただただ無言であった。おしっこをかけられようとも寒空の下、涼しい顔で立っていた。

 

ぼくはこのとき電柱と地蔵との区別がつかなくなっていた。

 

雨ニモマケズ

風ニモマケズ

ソウイウモノニ

ワタシハナリタイ

 

宮沢賢治の雨ニモマケズを思い出した。

電柱は「おしっこニモマケズ」だった。