パンツを脱ぐ!

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遊びまくる!

アラサーが会社を辞めて書くカオスな日記

隣の部屋の音がうるさいのも考え方しだいなのだ

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木造アパートは、上下左右から音があふれ出てくるからやっかいなのである。今も隣の部屋から咳払いがひとつ聞こえてきた。これを騒音ととらえるか?それとも単なるカエルや虫の鳴き声ととらえるかで、今後の人生が変わってくるのだろう。

隣がうるさいのも考え方しだい

壁が薄いのはしょうがない、だって家賃が安いんだから。上の部屋の音がうるさいのもしょうがない、だって家賃が安いんだから。木造のアパートととは、江戸時代の長屋風の造りをしている現代の江戸建築だと思えばいい。

 

雨風しのげればそれでよい。刑務所よりも、ましなことは確かなんだし。

 

隣がうるさければ、こう思えばいい。カエルや虫の鳴き声だと、森の夜はうるさい。田舎の夜もうるさい。冬は静かだけど、春夏秋はうるさい。それを思えば、なんのことはない。

 

それでも騒音だと感じるならば、こう思えばいい。「生きてるんだな~」って。生命を上下左右から感じられるのは、それこそ孤独ではない。逆に無音の方が怖いくらいだ。

騒音は楽譜のない音楽会だと思えばいい

でもね、さーて寝ようかという段になって、うるさくなるのは、考えものだろう。できれば隣の部屋に押し入って、何発かブン殴ってやりたい気持ちもわかる。

 

そう思ったらならば、耳栓をすればよい。さすれば音とは無縁の静寂が訪れる。心頭滅却すれば火もまた涼しで、どんな爆音だろうと考えかたを変えれば、それもまた楽譜ないメロディーになるのである。

音には音をじゃテロになる

いやいや、どうしても我慢がならない!のであれば、隣に殴り込みに行くのはNGだが、「音には音で対抗する」というとっておきの技がある。だがこれは最終手段で互いに問題をこじらせてしまう場合があるから、細心の注意が必要なことは確かだ。

 

やられたらやり返すの精神では問題は解決しない。これは世界を見てみてもわかることで、いまだにテロが無くならないのはなぜ?と問えば自ずとわかる。

 

言ってしまえば世界各国で起こっているテロと、隣の部屋の騒音問題は事の大小の差こそあれ、まったく同じことなのだと思う。すべては音には音で解決しようとしているのだ。だから解決しない。

人間として

でもここで必ず問題提起されるのが、自国がテロの脅威にあったり、攻撃されたら、やりかえさないのか?泣き寝入りするのか?黙ってやられるのか?それでも男か!!

 

お叱りはごもっとも、、、、ならば、やり返した先に何が見えるのか?なにがあるのか?

 

やられたら、やり返す。けっこう、けっこう。もし自分の家族や子供が傷つけられたら、やり返すことでしょう。それも大いに結構なことだと思います。言うなれば生物として、人間として、当然の行動だろうと思うのですね。

 

だけど、それでは問題は解決しない。何度もいうけど

許すこと

ぼくは騒音問題だろうとテロだろうと「許すこと」が大事だと考えている。でも今の世界は違う、核兵器を持ったり、兵力を増強したりして自国を優位にさせようとしている。しかし、それは悪いことではない。悪いことではないが、それは平和への道ではない。

 

それでも許す、言うなれば、なんでも許す。悪も何もかもを。これができる人間はいません。が、すべてを許す、努力をする。そうすれば、いかに隣がうるさかろうとも、大丈夫になる。それでもダメな場合は、刑務所に収監されていると思えばいい。

 

テロについてはもっと深い問題なので今後に持ち越すことにしたい。と思ったが、持ち越すのは嫌いなので、この際はっきりさせておく。

 

許す。それだけいい。そこがスタートラインなのだから