遊びまくる!

30代無職のカオスな日記

社長宛ての年賀状に便意を催す日

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今日は12月31日なので社長に年賀状を書いた。本当ならもう少し早めに書くべきものだが、押せ押せになってしまい、今日にいたったのである。

 

押せ押せとは何が押せ押せなのかは、説明することはできない。なぜなら自分でもよくわからないからである。

年賀状と社会人失格

上司に年賀状を書く行為がめんどくさくなってしまっては、いよいよ社会人として失格の烙印を3つくらい押されてしまった感がある。社会人失格という名前の小説でもコンビニにあれば、即購入してしまいたい気分だ。

 

コンビニで3枚108円で売っていた年賀はがきに文字を書いた。ボールペンで。失礼がないように「明けましておめでとうございます」の部分を「謹賀新年」にしておいた。ちなみに去年は明けましておめでとうございますと書いて送っていたと記憶している。それが今年は謹賀新年にレベルアップしていることに社長は気づくだろうか。

 

言っておくが、ぼくが年賀状を書くのはこの社長に向けた、ただ一枚だけである。

わくわく感と寂しさの同居する日

年賀状は送られてくればうれしいが、書くのは面倒だと思い続けて生きてきた。思い出すのは小学生のころ、友達から送られてきた年賀状にあわてて返信したことで、ソレ以来、年賀状が送られてくるたびに、書きたくもない年賀状を書かされていた。

 

毎年毎年のことなので、気づくと年賀状自体が嫌いになってしまっていた。小学校高学年になるころには、そんな自分には誰も年賀状を出してくれなくなっていた。それについては寂しい気持ちもあったが、それ以上に年賀状を書くことへの嫌悪感が勝り、正月に家族の年賀状をポストに取りに行っても、ぼく宛のハガキは一枚もなく、妹と両親に宛てられた年賀ハガキのみだった。

 

だから、正月のその日は新年が始まったという妙なわくわく感と、年賀状が送られてこない寂しさが、ぼくのなかに同居する日になっていた。

年賀状に便意を催す日

年賀状は自分から書いてみると案外楽しい。・・ことにいまさら気づいた。35歳も終わりに差し掛かってきた年の瀬にやっとわかったのである。年賀状を作成することが意外と楽しいってことに。

 

今日は一日、職場の人と年賀状を作成(上の画像)をしていた。正しくは一日かけて作成していたわけではないが、年賀状についてもっとも考えた一日だったことは間違いない。

 

それと最後に汚い話になるが、社長の年賀状を書こうとしてペンを握った瞬間、便意を催してしまうことについてなのだが、これは社会人として、トイレに行ってから年賀状を書くべきか、それともそのまま書き切ってから安心してトイレに行くべきか、迷ったあげく、ぼくは後者を選択した。

 

便意を我慢しながら書く文字は、相手(社長)に伝わってしまうのだろうか。少し心配ではあるが、切迫した緊張感をもって書いてくれたと、相手(社長)が感じることもあるだろうと、得意のポジティブシンキングで今年の仕事納めをしてきた野郎がここにいる。

 

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みなさんよいお年をお迎えくださいませ

来年もよろしくお願いいたします

(いろんな意味で)