遊びまくる!

無職ブロガーのカオスな日記

給食の居残り一人で座っていた女の子

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画像:はちドットビズ

給食の時間が大好きな子どももいれば、苦痛でしょうがない子もいます。

その女の子はとっくに給食の時間が終わり、休み時間も過ぎて、掃除の時間になっても、後ろに寄せられた席で、ひとり手つかずの給食と向き合っていました。

給食が食べらない女の子

ぼくはその女の子の名前を思い出すことができない。ただ、悲しそうに俯いて、机の上に置かれた給食をじっと見つめていたのは憶えている。

 

今でこそ教師の体罰が世間で騒がれ、問題になっているが、当時は体罰などどいう言葉すらもありません。それだけ教師と生徒の力関係がはっきりしていたのです。

 

 

掃除の時間が終わって教室に戻ると、その子の前にあった給食は何者かの手によって下げられ、女の子もいつも通り前を向き静かに座っていました。悲しみなどなかったかのような佇まいで。

 

これが一度や二度のことではなかったので、給食の時間がくると繰り返される、ただの日常となっていった。ぼくはいつしか、その子に対して意識すらしなくなった。学年が変わってその子とはクラスが別になり、その後のことはわからない。

給食で居残りする日常

今ではこのような体罰ともとれる残酷な教育は存在しないと思うが、なぜ教師はあれほどまでに給食を残すことを許さなかったのか?ある意味いじめのような処罰を物心もついていない子どもに対してなぜ行ったのか?

 

今となっては過去のことで、昔の小学校ではこのようなことが平然と日常的に起きていたという事実だけが、ぼくの脳裏に写真のように焼きついているのです。女の子の悲しそうなあの目が。

教室の埃のなかで

掃除の時間はバタバタと皆が走り回り、教室中に埃(ほこり)がたち、後ろの席に残された女の子のパンやスープにも、きらきらと舞い上がる埃が降り注いでいた。それでも女の子は埃を払うでもなく、俯いたまま微動だにしなかった。

 

なに、埃がパンやスープにかかることに対して悲しんでいるのではない。給食を全部食べないと許さないと言った先生に対して、どうしても食べられない自分自身に対して、さも他人事のようにふるまうクラスメイトに対して、悲しんでいるのである。それはその子にとって、深く、刃物で心をえぐられるような痛みを伴った記憶になるのではないのか。今のぼくがその場にいたなら、そんな悲しい給食など教師に叩き返してやりたいところであるのだけど。

 

でも、当時のぼくにはその子の感情など、これっぽちもわからなかった。なら、今ならわかるのだろうか、その子の気持ちが。

 

もしかしたら、ぼくは、わかったつもりになっているのではあるまいか。なにが悲しいだ。下手な同情はいらない。もしもその当時に戻って、ぼくがその子の給食を強引に下げようとしたら、きっとその子はぼくに向かってこう言うだろう。

 

「やめて!私はいま、たたかっているんだから!」と

 

 

 

これらはぼくの想像の域である。

もしこのブログをその子が読んでくれることがあれば、本当のところを教えてほしいと思う。

 

元気でやってることを願って