遊びまくる!

30代無職のカオスな日記

ロンリーチャップリンの住む街

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ロンリーチャップリンを口ずさみながら、一人で立ち飲み屋デビューをした。

どうやら立ち飲み屋はぼくにとって、お世辞にも居心地がいいと言える場所ではなかった。立ち飲み屋の一人飲みは大人の嗜みだが、その嗜みを嗜むことができないのは、まだ大人に成れていない、成熟していない証拠ではあるまいか。

私だけに見せる哀愁

高田馬場にある立ち飲み屋に17時頃に入店した。開店直後、客はぼく一人だった。10人も入れば満席になるカウンターだけの立ち飲み屋、千円で飲み物2杯とおつまみが2品つくセットを頼んだ。生ビールも冷えているが外も冷えている。真冬の東京。客はまだぼく一人だけだ。私だけに見せる哀愁を漂わせながらの一杯。

 

ここに言う「私」とは本来なら恋人を指すが、その「私」が、ぼくの隣にいるわけでもないのだから、本当なら「店員さんにだけ見せる哀愁を漂わせて」が正解になる。言い訳がましいようだが、これらはぼくが一人で飲んでいるのではなく、まだ見ぬ好きな女性と二人で飲んでいるのだというただの妄想である。

 

これを昭和で言うところのロンリーチャップリンと呼ぶのだろうか。

チャップリン誰?

チャップリンとは自分自身のことか。

音楽のミスマッチ感

立ち飲み屋は若いお兄さんとそれよりも若い女の子で切り盛りしている。2人のあいだに会話はない。若いお兄さんは仕込みに励んでいる。それよりも若い女の子も店内の掃除をテキパキとこなしている。

 

ぼくは無口に備え付けのテレビを見るしかない。

店内にはそんな3人の気まずい空気をかき消すかのように有線のアップテンポな音楽がかかっている。テレビの会話は微かに聞こえてくるが、はっきりとは聞こえてこない。

 

ぼくは生ビールを飲む。ニュース映像とアップテンポ音楽のミスマッチ感といったらない。

ロンリーチャップリンの住む街

 東京にはロンリーチャップリンが多い。(ぼくを含めて)

そんな夢を忘れた人々が行きかう交差点で、ぼくはこう叫びたい衝動に駆られた。

「Do what you wanna do again!」(もう一度やりたいことをやる)って。

駆られたならしょうがない。叫びたいならしょうがない。でもそこは大人、実際に叫んだりはしない。だって本当にロンリーになってしまうから。

 

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手持ち無沙汰感がじわじわとぼくを襲い始めたころ、そそくさと勘定の千円だけ払い店を出た。客は最後までぼく一人だった。立ち飲み屋は手持ち無沙汰になって困る。これが今日、ぼくが得た一人飲みの教えである。

 

ロンリーチャップリンの住む街を後にして