遊びまくる!

30代無職のカオスな日記

真冬の新宿ホームレスたち。消費社会の行き着く先はどこなのか

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今日の東京は雨でした。

人々が行きかうさなか、ホームレスも道のわきで寒そうにしていました。

 

とくに夜は寒そうでした。外からは見えませんが、小さな段ボールハウスのなかで、じっと耐えているのがわかりました。

新宿のホームレス

歌舞伎町の端っこにある新宿大ガードの下にはホームレスが住んでいます。他には北新宿のガード下にも3人のホームレスが住んでいます。昔はもっとたくさん住んでいましたが、今は少なくなりました。みんなどこに行ってしまったのでしょうか?

 

新宿西口の駅地下には改札が閉まりかける深夜0時過ぎになると、どこからともなく浮浪者たちがたくさんやってきます。みな思い思いの段ボールや荷物を抱えて場所を取りを始めます。

 

傍から見ているとその光景は異様です。異様な熱気に包まれています。

そのすぐそばを終電車に走り込むサラリーマンや酔っ払いが行きかいます。だれも気にも留めません。ぼくも終電車に飛び乗りました。

 

新宿は大勢の人が行きかいます。

新宿大ガード下のホームレスは、日本一ひと通りの多い道に住んでいるホームレスです。その出で立ちは、まるで仙人のようです。

電車のホームレス

異臭がしました。

ホームレスの人の近くにいくと鼻をつんざく臭いがします。電車に乗っているホームレスの人の周りには誰も近づきません。気を利かしてか、ホームレスは電車の一番端の席に座ります。夏場は端に乗っているにもかかわらず、その車両全体が異臭に包まれます。

 

ホームレスの人は座りながら下を向いていて、生きているのか死んでいるのかわかりませんけれども、ピクリとも動かずに次の駅へと運ばれて行きました。

路上生活者について

ぼくはなぜ路上生活者がいるのか考えました。

 

家のない人がいる。

東京は深刻な空き家問題を抱えています。なのにどうして、こんな寒いなか外で暮らさなくてはならないのか。本人たちが自分の意志で自由に暮らしたいからと、わざわざホームレスになっている人もいるだろうけど、それでも真冬はきついと思う。

 

空き家が増えているなら、その空き家を提供すればいいんだけど、それを国や法律や規制や条例や家の持ち主が許さない。馬鹿げたことである。

消費社会の果て

人は自分の資産や財産を人に分け与えようとはしません。

分け与えるのは自分の親族や子どもにだけです。だから2世や3世のボンボンが出来上がる。学歴も親が高学歴なほど子どもも高学歴になる。低学歴な親の子どもの学力は低い。

 

富裕層は自分の私腹を肥やすことに専念している。

家がなく外で凍え死にそうな人がいてもお構いなしだ。足るを知る。服や靴やバックをいっぱい持っていても一度に全部は使えない。2、3個あれば充分である。

 

企業の内部留保も経済を停滞させている。

みな自分自身の生活を守りたいのだ。自分さえよければいいと考えている。企業がそんな調子だから、働く社員もそうなっていく。社員がそうだから、アルバイトもそうなっていく。日本全体がそうだから、ホームレスが道に座っていても、日常の光景として過ぎていく。

 

消費社会の最たる国、日本。

人々は物欲に駆られ、労働し、消耗し、疲弊する。

消費社会の真っただ中では、その大量消費を止めることはできない。一度走り出してしまった車を止めるにはブレーキを踏まなくてはいけないのだが、そのブレーキはもう壊れている。

 

一人一人が無駄な大量消費をやめない限り、この生きづらい日本が誰にとっても住みやすい国になることはない。

 

誰にとっても住みやすい国の実現に向けて、ぼくは労働しているのだろうか。していない。自分のために、自分の生活のために労働しているのだ。それは資金に余裕がないからだ。ぼくはホームレスになってもブログを続けるのだろうか。書けない。パソコンが盗難にあってしまうからだ。鍵のついた家がなければ、パソコンがなければ、スマホがなければ、発信することができない。

 

 

お金持ち批判はいつの時代も貧民のたわごとに過ぎないのだ。

ホームレスたちの声が届くことはない。