パンツを脱ぐ!

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遊びまくる!

アラサーが会社を辞めて書くカオスな日記

隠すからわいせつなんだという発想

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大島渚監督は言った。隠すからわいせつなのだと。

隠されると見たくなる。それは人間の心理でもある。

芸術か猥褻か

禁止されると、ルールを破りたくなる人がいる。隠されるとよけいに見たくなる人がいる。その両方が合わさったら、隠してあるものを見てはいけないと禁止されたら、誰だって気になるし、どうしても見たくなる。いつでも買えるものよりも限定されたほうが購買意欲が増す心理と一緒だ。人は限定品に弱いのである。

 

芸術か猥褻か。

これだって人によって意見が分かれる問題だろう。でも大多数の人は偉い人や著名な芸術家の言ったことを鵜呑みにする。ミケランジェロのダビデ像を猥褻だと言う人が少ないように。

見慣れると見飽きる

隠すからわいせつになるのであれば、反対に隠さなければ人はそれをわいせつだと感じないのだろうか。アフリカ大陸にいる民族の女性が胸をさらけ出していたとしても、それを見て興奮しないのと同じように。

 

見慣れるという言葉がある。読んで字のごとく、毎日繰り返し見ることよって人は、その物体をだんだんと見慣れてくる。するとたとえ胸であろうが何であろうが、人はそれによって興奮したり、欲情したりしなくなるだろう。付き合いの長いカップルや夫婦にありがちなセックスレスは、この「見慣れる」ことが原因である場合がほとんどではないだろうか。

 

見慣れることの延長線に見飽きるがある。

美人は3日で飽きるがブスは3日で慣れるという嘘もあるが、大抵は美人だろうがへちゃむくれだろうが、毎日見ていればだんだん見慣れてくるのが普通の人間だろう。そしていずれは見飽きるのである。ぼくはこの見飽きるがなければいいのにな、と思っている。見慣れるはあっても、見飽きるはないほうがいい。

 

いつまでもお互いに見飽きることのない、幸せな夫婦は素敵だと思っているから。

隠すからわいせつなんだという発想

猥褻を語るならまずは、エロとは何か。エロスとは何かを定義しなくてはならないが、そこは大人の事情で今回は割愛させてもらいたい。それがここのルールなのだから。

 

ぼくはルールを守る男である。(たまにお酒の力によって羽目を外してしまうことはあるが)ブログでも何でも程よいルールに縛られたうえで創作するほうが良いものが仕上がる。ぼくはこれを不自由のなかの自由と呼んでいる。(ある漫画からいただいた言葉「不自由のなかの自由」)

 

隠すからわいせつなんだ、だから隠すな。と言っても、この世界のこの日本の服を着て体を隠すというルールは変わらないだろう。そしてこれからも母国日本にイノベーションは起こらないのだろう。

 

 

日本初の新技術でもって世界を席巻するような、具体的にいうとiPhoneのような製品がこの日本から生み出されることを期待したい。隠すから猥褻なんだという発想をもとにして。