遊びまくる!

無職ブロガーのカオスな日記

地面のないアスファルトに咲く花

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ベットに横になっていると感じることがある。

日ごろの運動不足によって重力が何倍にも感じられるのだ。だるさとはちょっと違った、全身をベットに縛りつけられたような感覚である。

地面に寝ているわけではないのだが、なぜだか地面に身体が吸い込まれているような気がする。

地面のない都会

東京などの都会では地面を直接見ることは少ない。

下手をすると数年見ないことだってありえる。全面がアスファルトに覆われていて地面がまったく見えない、これが都会に殺伐とした乾いた冷たい印象を人に与えてしまう要因であろうと思う。住環境が人間に与える影響は大きい。都会に住む人間が冷たいのもうなずける。

 

建物はコンクリート、地面はアスファルト、職場では人間関係に悩み、家に帰れば孤独になる。これでは、どこかに歪みが生じてこないことの方がおかしいだろう。だから人は自分の心にもアスファルトを纏うようになる。熱くなって冷やすと固まる、じっとりとした黒い塊を。

 

自己防衛。これはいたって自然なことであると思う。敵の攻撃から身を守るのは動物の本能だからだ。地面をアスファルトで舗装する都会と同じように。

地面と糞と田舎

そんなに地面を見たけりゃ田舎に行け。そしたら嫌んなるくらい毎日見れるから。

 

ぼくは田舎育ちである。

田舎には田んぼや畑があり、林や草原だってある。道には轍ができていて、真ん中には雑草が生えている。雑草の陰に蛇が隠れていることがあるから、気を付けながら歩いたりもした。ぼくは蛇に噛まれるのが怖くて、半ズボンをあまり履かない子どもだった。

 

舗装されている道にしたって、犬の糞が点々と、まるで誰かが仕掛けた罠のように転がっていた。月一で糞を踏んづけていた幼少期を過ごしていた。今では、こびりついた糞を、靴から洗い流す作業をした記憶が、ぼくのいい意味でのトラウマになっている。

アスファルトに咲く花

地面が見たいからといって、都会のアスファルトをすべて剥ぎ取るわけにはいかない。進んだ文明を元に戻すことはできないのだから。

 

だったら、そこで生きていく方法を、人間としての優しさや悲しみや楽しみや怒りや悪意や犯罪なんかもひっくるめた、人間という考える葦を生きていきたい、生き抜いていきたいわけである。

 

文明がアスファルトならば、アスファルトを突き抜けて生える草や花や木が人間ではないのか。季節の移ろいと共に草花はやがて枯れ、春になるとまた新しい草花に生え変わる。

 

ぼくはベットから起き上がった。地面に身体の養分を吸い尽くされる前に。