遊びまくる!

30代無職のカオスな日記

うんこ座りする人妻を見てしまった

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空想に浸ることは暇人の特権で、法律や職級、いかなるものにも邪魔されることはない。今日は朝から新宿のハローワークにて、初回失業認定に行ってきた。午前中、人もまばらな職安内で半時間ほど滞在していた。ぼくの前を一人の人妻が横切った。その瞬間、ぼくは退屈から解放されたのだった。

うんこ座りする人妻

欲求不満は犯罪ではない。人妻は乳母車に赤ちゃんを乗せ、立っているぼくの前を横切った。(ぼくは坐骨神経痛のため座らないことが多い)横切った先で立ち止まり、ベビーカーを押していた。ら、足が、ベビーカーの車輪が、前の車輪が、パイプ椅子の足につっかえた。何度もつっかえていた。そのときだ。若妻(20代前半)が前屈み姿勢になったのだ。ぼくは5m前方で行われているその卑猥な行為に息をのんだ。屈んだお尻を見た。いや目に入った。いや凝視した。正解はわからないが白のパンツ(ズボン?)にパンツの線がくっきりと鋭角に鋭く二等辺三角形を形作っていた。ぼくは昔習った公式を思い出した。底辺×高さ÷2=面積。仮に女のウエストサイズを30cm(後ろのみ)として、高さが20cmだとすると、布面積は、30×20÷2=300cm2。底角53度。浮き出た線は非常に複雑な積分法での計算を要する。

うんこ座りの一歩手前

ぼくはその女のうんこ座りの構えの一歩手前で、まるで時が止まってしまった。本当はものの数秒だったに違いない。それがぼくには永遠に感じられたのだ。楽しくない時間は1時間が2時間にも3時間にも感じられることがある。逆に走馬灯と呼ばれる時間にしては短くも、映像がスローモーションで流れていくこともある。女にとっては一回屈んだだけのこと。膝の屈伸運動を怠った屈み方をしただけのこと。ただのうんこ座りへのムーブメントに過ぎない。これはエロスであってエロスでない。フランスの小説家フローベルは「成功は結果であって目的ではない」と言った。これ、まさに。美しい、非常に繊細な対比、均斉のとれた美的法則に則った。母性を感じさせる尻だったのである。

行儀の良いうんこ座り

あれほど美しく行儀の良い、慎み深い、淑やかなうんこ座りをぼくは初めて目にした。感慨深い思い出とは、ふと気を抜いた瞬間に訪れるものなのだ。そこに卑猥なスケベ感情の入り込む余地はない。アートか猥褻か。空想か現実か。ぼくが次に新宿のハローワークに来るのは9月になってからだ。今から次に来るのが楽しみになった。