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アラサー無職のカオスな日記

「母親に、死んでほしい…」介護者の葛藤、他人ごとではない介護地獄

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介護をしたことがないぼくが意見を垂れるなんざ、甚だ勘違いもいいところだろう。

でもぼくの母親も介護が必要になるだろうし、とても他人事ではいられないと思ったから書かずにはいられなかった。

 

「母親に、死んでほしい…」介護者の葛藤 - Yahoo!ニュースを読んでみて、ぼくが感じたことと伝えたいこと。

 

月間1人の熱狂的な読者にぜひ伝えたいことがある。

それは、介護の問題は避けては通れないということだ。

 

親がどっちも早くに亡くなっているなら、親の介護の問題はないだろうけど、自分が老人になったときに、誰に介護してもらうかって話は、生きている以上ついて回る。

 

お金があれば誰かに頼めばいいだろうし、手近かな老人ホームにぶちこめばこと足りるだろう。

 

 

以上で感想は終わり。

以下は個人的な話になる。

ぼくのじいちゃん

ぼくのじいちゃんがそうだった、何度も入退院を繰り返し、何度も危篤状態になり、最後は復活して家に帰るの繰り返しだった。

 

母親はそのたびに、山梨から遠い高知へ高い交通費と時間を割いて帰郷していた。

 

その頃ぼくは、東京にいたし、仕事も休めなかったから、知らん顔していた。

 

ぼくが最後にじいちゃんを見たのは、老人ホームに入って間もない頃だった。

じいちゃんは、中学の給食時間を思わせる机の配置で、他の知らない老人たちと仲良く食事をとっていた。

 

ぼくが見たじいちゃんは、とても楽しそうな笑顔で食事をしていた。

 

その場面だけは、今でも忘れられない。

 

亡くなるときに面会に行けなかったことを申し訳なく思っているが、仕事を休んでお金使って帰ることは、現実的にそうそうできるこっちゃない。

 

世間では、親の死に目に会うことがとても大事に思われているが、ぼくが親の立場になって、いざそうなったときには、どういう心境になるのだろうか?

 

考えてはみたが実際にそうなったことがないので、想像すらできない。

 

今のところ、ぼくの死に目には、誰もいなくてもいいと思っている。

なぜなら、そばに誰がいるとか、そんなことは自分のことに精いっぱいで気にしていられないと思うからだ。

 

家族にに見守られながら死にたい人もいるだろうけどね。

 

 

 

これだけは言えることは、どんなに友達が多かろうと、回りから慕われていようと、死ぬときは1人だってことだ。

 

同じ1人ならどうだっていいじゃないか、そんなこと。

 

 ぼくには、ばあちゃんはいなく、じんちゃんしかいなかった。

じいちゃんの家に何度も泊まりに行ったのは、よく覚えている。

 

夜おっきなムカデが出たことや、ステーキの脂身が好きだったこと、よくお経を唱えていたこと、足が悪く変な歩き方だったこと、いつも小遣いをくれたこと、NHKしか見てなかったこと、、、、。

 

ぼくがまだ小学生だったときの夏に帰省したときや、帰ったときには必ずこう言って出迎えてくれた。

 

「よーかえってきた、よーかえってきた。」

 

じいちゃんは、ぼくの心の中で今も元気に生きている。

 

参考書籍:介護地獄―重荷を背負わされた家族たち