遊びまくる!

30代無職のカオスな日記

どうでもいいことをやろうとする勇気

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いざ、どうでもいいことをしようとしても何をしてよいのやら、はて、と立ち止まる。

人生なんて、とかそういった難しい説教じみた話じゃなくて、とにかくどうでもいいことをひたすらにしたいのである。

(写真はイメージです)

どうでもいい仕事

仕事をどうでもいいことだと捉えたならば、出社時間に遅れ、反省もせず、業務に飽きたら帰る。そして無断欠勤の嵐。35歳、社会不適合者。クビというか出社しないのであれば、そんなことはどっちでもいいことになる。

 

そして当然お金がなくなる。借家を追い出される。ホームレスになる。多摩川の河川敷でブルーシートと段ボールでこしらえた簡素な家を作り、寒さに凍えながら日々を暮らす。この時期は辛かろう。ゴミをあさり、アルミ缶を集めた小銭で飢えをしのぎ、長い長い眠れない時間を夜空の星を眺めながら人生について考える。来るとこまで来たか。思えば遠くへ来たもんだ。

 

これは違う。このストーリーは違う。こんなに深刻な未来を想像してはいけない。


どうでもいいことってのは、帰り道にわざと遠回りしたり、走ってみたり、コンビニに陳列してある本をきれいに並び替えてみたり、知り合いに今日の天気についてメールしてみたり、フェイスブックにきのう食べた鍋がまずかったことを投稿してみたり、そんなたわいもないことだ。

どうでもいいことはできない

しかし、何一つどうでもいいことを実行に移していない。

朝起きて、会社に行って、帰ってきて、ブログを書いて、寝る。これだけ。

新たなどうでもいいことは一つもやれていない。日々の生活に新しい何かを導入することは意外に難しいのである。変化のない日常は平和な日本の象徴であるが、時としてそれは人をボケさせ、老いを早める。

 

ヤフーニュースで事件や事故の記事を読んでも、登山は危ないな~とか、高齢者の車の事故が多いなとか、これだから不倫はダメなんだとか、テレビのコメンテーター気取りの批判をくりかえしているだけのオウムのようになる。

どうでもことをやろうとする勇気

今日、何かどうでもいいことはないかと考えながら帰路を歩いていると、小さな個人経営の焼き鳥屋で一人で飲んでいる女の背中が目にとまった。一瞬だったし背中だけなのでどんな顔か歳かはわからないが、たぶん30代前後ではないかと思われる。女の背中は凛としていて全体的に清楚な雰囲気を醸し出していた。

 

女は右の壁際に座っていて、その2つ隣は空いていた。(カウンターだけの店)他の席は団体客で満席だった。連れはいないのだろう。ぼくは歩きながら考えた。例えばここでこの場末の小汚い焼き鳥屋に割って入ったらどうなるだろうかと。

 

ぼくは勇気を出して暖簾をくぐり、古ぼけたガラス戸をガラガラと開け、その女の隣に座る。(そこしか席が空いてないので隣に座るしかない)そしてとりあえず生ビールを注文する。つまみもいくつか頼む。枝豆を丁寧に食べながら、2杯目のビールに口をつけたあたりで、隣の清楚な女にこう切り出してみるとする。

 

「最近あったどうでもいいことって何かありますか?」

 

しばしの沈黙のあと、清楚な女はぼくを一瞥し、こう答えるだろう。

 

「隣に座った小汚いおっさんに話しかけられたことですね」と。

 

見つめ合うふたり。

時が止まる。

そして二人は恋に落ちた。

 

 

そんなわけはない。