遊びまくる!

アラサー無職のカオスな日記

ダイソーという名の現代の追いはぎ

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画像:Wikipedia

ダイソーという名の100円均一をご存知か。

低所得者の楽園であり、忘れかけていた冒険心を呼び覚ます。大人が少年に戻れる場所、少年は大人になれる場所。と、褒めては見たものの、安かろう悪かろうの言葉通りの商品も多数ある。だいたいそうだから、ダイソーなのかもしれない。

ダイソーに勝つ

今日、中野のダイソー(100円均一)に行ってきた。

地上3階建てのフロアーは狭いなりに、商品数は他と比べるとなかなかのものだった。暇なときは重宝する。陳列を眺めているだけで時間が潰せるのだ。断っておくが、ぼくは暇人ではない。単なる暇人ではないのだ。ただ、人よりも時間に関して無頓着なだけなのである。

 

同じ種類の洗濯ネットでもさまざまな形状のものがあり、消費者の購買意欲をそそる。ぼくはその常々訪れる衝動買いの誘惑に勝つことで、自分自身の自律神経を整え、欲望に勝ったという喜びをひとり讃えるのだ。よくぞ我慢したと。

 

ダイソーには老若男女問わず、さまざまな人間模様がある。商品と同じく、またはそれ以上に。

 

レジはというと、まさに戦場のような鉄火場の様相である。次から次へとお客が我先にと列に並び、従業員はそのお客たちを、いかに素早く店の外に送り出すかにすべてをかけている。人間ベルトコンベヤー状態。人間ところてん状態。どちらの状態も落ち着くことはない。

ダイソーの誘惑

ぼくはレジ横にある甘栗に手を伸ばし、つかんだと同時に手を放した。危うく衝動によるダイソーの誘惑に負けるところだった。

 

それにしてもうまい場所に甘栗が置いてあるもんだと感心した。

この位置に甘栗を配置することを提案した人間は、マーケティングの天才ではないだろうか。こんな天才が商品を配置しているダイソーに長居していては、身ぐるみを剝がされかねないと身震いさえした。けっして冬の寒さに震えたわけではない。そしてぼくは、財布のなかの少ない残金を確かめるのであった。

現代の追いはぎ

甘栗むいちゃいました。ならぬ、身ぐるみ剝がされちゃいました。こうなっては元も子もない。節約しようと洗濯ネットを買いにきただけの素人が、あれよあれよという内に無駄なものを買わされて、しまいにはレジ横の甘栗まで買ったとあっては、節約が浪費へと一気に真逆の変貌を遂げてしまう。

 

これは一種のカミングアウトに近い。大事に育て上げた息子にいきなり「私はゲイです。お父さん」と告白されるようなものではないか。そして父は散々悩んだあげく、最後には息子を許し受け入れる。帰り際、そんな安いドラマが浮かんできた。

 

これからもブログのネタに困ったら、またダイソーに来てみよう。きっと新たなドラマがぼくを待っているような、そんな気がした。


100円よりも価値のある、創造力にあふれたあの場所。大創造的な、、、大創造的、略してダイソー、いやダイゾーか。