遊びまくる!

アラサー無職のカオスな日記

22才の別れを今の22才は知らない

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22才の別れとは伊勢正三さんが作詞作曲した曲である。

 

20代の友達に知っているか聞いてみた、即答で「知らない」と言われた。

22才とは一般的に楽しい時代であって、そこに別れという悲しみをぶち込まれても、今の若者たちには響かない。タイトルを聞いただけで暗い曲なんだろうと察しがつくし。ならば明るくしてみてはどうだろうか。

22才の思い出

22才の時分は何をしていたのだろうか。

ぼくはその頃はたしか山梨にある通信高校に通っていた。実家から車で30分ほどの場所にある通信高校に、週1回の授業を受けに行っていた。月に4回レポートを提出すること。学費は驚くほど安かった。曖昧ではあるが卒業するまでの3年間で10万円しなかったと思う。

 

修学旅行もなく、思い出はほとんどないし友達もできないかったが、高卒という学歴は手に入れることができた。中卒と高卒では違う、明らかに違う。しかしその違いをうまく説明することができないのが元中卒ゆえの難点なのだが。

 

暗い。

中卒が高卒を取ろうとしているさまが暗い。さらに追いうちをかけるように友達が一人もできなかったがくる。暗すぎる暗黒時代。ダーク&ダーク。村上春樹も真っ青の暗さだ。こうして文字にしてみるとその暗さがよくわかる。


無理に明るくしようとして、22才の暗黒を思い出してしまう。人は楽しかった記憶よりも、辛かった記憶を優先して憶えていることがわかった。大脳のバカヤロウ。悪夢か追憶か。夢ならさめてくれ。

22才の出会い

「別れ」なるワードが話を暗くする要因であるのだから、それを逆に祝いのワードに変えてしまえば、否が応にも明るくなるのではないかと思った。猿でも思いつきそうなやっつけである。

 

このワードはいきなり「22才の結婚」でもよかったのだが、それでは先走りすぎ感がある為、「22才の出会い」としてみた。22才のとき誰かと出会ったのだ。ぼくも22歳のとき出会った人はいた。誰だかわからないけど、出会ったことは出会ったと思う。びっくりするくらい人との関りが抜け落ちている。記憶からスッポリと。

キャッチ―な文句

女でも男でもその当時から付き合いのある人はいない。これではまた思考が陰に陰になっていく。タイトルも良くない。もっとハッピーで若いギャルが喜びそうなキャッチ―な文句を並べないと、インターネットというマリアナ海溝に沈む誰にも発見されない記事となってしまう。海、深海、ああ私は貝になりたい。そう思った。

 

私は貝になる前に、この記事を今を生きる22才に届けなくてはいけない。そう、これは天からの啓示を受け書き上げている文章なのだ。

 

 

聞かせてくれ若者よ。深夜のコンビニにたむろする若者よ。渋谷のファッションビルに群がる若者よ。このブログを見ている数少ない若者よ。私の声が届いていますか。22才はどんな気持ちで日々を過ごしていますか?教えてくれほしい、わたしが貝になってしまうその前に、早く。