遊びまくる!

無職ブロガーのカオスな日記

「職なし貯蓄なし年金なし」でも心配いらない

f:id:hamaren:20170727181336j:plain

president.jp

あなたはお金が欲しいか?職が欲しいか?豊かな老後とはどういう生活を理想とするか?

豊かとは貯蓄に直結する。10年後には無職で貯金もなく年金も貰えない老人が大量発生するのだ。メディアはいつでも人々の不安を煽ることで注目されようとする。

メディアに惑わされない

メディアとは、表した情報を人に見てもらうことから出発する。人に見てもらわなければ価値はない。この手の人々の不安を煽った記事は一定の層の人たちが好む(ぼくを含め)。読まれたり見られたりすれば、一先ず良しとする。ビジネスだから手法など構ってられない。不安を煽れば煽るほど、その媒体を見た人たちは、そういう目で世界を見てしまう。一種の思い込みだ。この先入観を無くすには、主観で見るのではなく、客観で見ることが必要だ。気持ちをフラットな状態にして、冷静に捉えてみる。すると、この職なし貯蓄なし年金なし老人大量発生問題は、実に自然なことであることがわかる。

案ずることはない

人口ピラミッドを見れば一目瞭然である。人口が多いのだから、富裕層と中間層、貧困層も多くなるのは当たり前田のクラッカーなのだ。しかもお金持ちよりも貧乏人が比率的に多いこともごくごく自然。不思議なことは何もない。だが、当の本人たちは必死だろう。生活保護に頼るか、自殺するか、子どもに頼るか、知恵を絞るか。不安が不安を呼ぶ。案ずることなかれ。真面目で責任感が強く、立派な人ほど悩む。これらの問題を真面目に解決しようと考えていてはいけない。

解決策はある

もちろん解決策はあるだろう。これについては各々が考えればいい。手法や案はいくつもあるが、その解決策を考える上で共通していること、それは悲惨な老後になる最大の要因はお金がないことである。稼ぐ能力がないとも言える。お金を使う力はあっても稼ぐ力がない。だが、よく考えてみると、もし全員が全員稼ぐ能力が高くなって、稼ぎだしたらどうなるかと。ビジネスでも何でも利益を出すということは、そもそも消費者がいなければ成り立たないのである。お金は湯水の如く溢れ出てはこない。

立派な消費者

上の話を株に例えてみたい。株式投資はゼロサムゲームではないという人もいる。確かにその面もあるが、それは理想論だ。どこまでも上がり続ける株があれば、その理屈は正解だろう。しかし、そんな株は存在しない。上がったものはいつかは下がる。儲かった人がいれば、その分損した人(会社なり組織なり)がいるのだ。

 

ぼくが言いたいのは、この「職なし貯蓄なし年金なし」の人たちは立派な消費者なのであるということだ。消費者がいなければ、金持ちなど存在しないのだ。バカな消費者、考え無しの消費者、情報弱者たちを食い物にしているビジネスの類。人間はみんな平等だと思う道徳心があるならば、富の独占が如何に愚かなことか気づくだろう。逆に人間は生まれながらにして不平等であると考えるなら、富を独占すればよろしい。金持ちが金持ちでいられるのは消費者あってのことなのだ。

富を独占しようとする人々

まるで子ども頃を思い出す。ぼくは小学校低学年の頃に友達数人で秘密基地を作ったり、ファミコンゲームで遊んでいた。なぜかわからないが、子どもが数人集まると自然に、モノを独占しようとする人間が出てくる。秘密基地のリーダー、ファミコンをプレイする友達。ぼくはその様子を傍らでいつも見ていた。それはリーダーの素養もなかったのと、ゲームが下手だったからしょうがないんだけどね。本当はやりたいんだけど、従うことしかできなかった。

 

ぼくは少年時代のこの体験が社会に出ても、全く同じだということに気がついた。ただ違うのはおもちゃやガキ大将が、お金や地位に変換されただけだった。同じころぼくの妹は、ままごと遊びをよくしていた。今は結婚して旦那とリアルなままごとをしているのだろう。大人になって富を独占しようとする心理は子供のソレと同じなのである。富とは独占するものではない、分け与えるものなのだ。あなたも小さい頃に玩具を独占して母親に貸してあげなさいと怒られたことがあるだろう。お金とはみんなで一緒に使うと楽しくて便利なものなのだ。